在日韓国人たちの貢献は報われたのか 駐日韓国公館を寄贈した人々 私財投じた資産家も

http://www.onekoreanews.net/past/2007/200708/news-syakai02_070829.cfm
 


1962年8月15日、光復節記念式典に在日韓国人参加団として訪韓した阪本紡績の徐甲虎会長(中央)は、会長個人の敷地と建物を国家財産として使ってほしいと、朴正煕最高会議議長(当時)に申し出た(在大阪韓国人100年史)



 東京都港区南麻布1丁目―現在の駐日韓国大使館がたつその土地(3086坪)は戦前、日本人政治家・松平賴壽が別荘として所有していた。終戦後、松平氏の別荘と土地は在日韓国人の手に渡った。
 購入したのは坂本紡績(大阪泉南市)の徐甲虎会長だった。彼がいつどうやって、いくらで購入したかは定かではない。ただ、駐日韓国代表部が置かれた
1946年、徐氏が韓国に別荘を無償で提供したという記録が残されている。それをふまえると、徐氏が土地と建物を購入した時期は終戦直後だと考えられる。
 当時の南麻布周辺は、日本人なら誰もが憧れる一等地だった。大使館の土地を現在の市価に換算すると、1兆ウォン(約1234億円)に達する。徐会長は
1962年8月15日、在日韓国人参観団の一員として韓国の光復節記念式典に参加した。
 このとき徐氏は、当時の朴正熙最高会議議長に対し、土地と建物の寄贈証書を手渡した。国家資産として使用してもらうためだった。
 徐会長は、なぜ日本の一等地をわざわざ政府に寄贈したのか。これについてもやはり、明確な記録は残されていない。民団の資料によると徐会長は、朴正熙議
長の意欲的な国家再建活動に感銘を受け、寄贈を決意したと記されている。
 一方、民団員の底力で建てられたのが大阪総領事館だ。
 1948年に設置された駐日代表部大阪事務所は、在日韓国人最大の居住地域であるにもかかわらず規模が縮小された。これを遺憾とした関西地方の在日同胞
たちは1971年9月、「大阪総領事館建設期成会」を発足させた。会長は当時の富士観光社長・韓祿春氏が務めた。
 期成会は、大阪市中央区三寺町12番地の土地(518平方メートル)を、坪単価200万円で購入。1972年11月には着工式を行った。しかし、8億円
にもおよぶ工事費用を捻出することは、期成会だけではとうてい不可能だった。
 期成会はその後3年間、民団員らと大々的な募金活動を展開した。
 民団では、大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山など五つの地方本部と、各地域支部によって「募金推進委員会」が構成された。
 地域別に募金額が決められた。大阪は最も高額の5億5000万円。次いで京都が5000万円。滋賀、奈良、和歌山はそれぞれ1000万円だった。当時の
黄七福大阪団長らは各支部を巡回し、熱心な募金活動を展開した。
 1974年9月15日、駐大阪韓国総領事館は完成した。地上9階地下2階、述べ床面積5699平方メートルの近代的な建物だ。同胞たちの熱意が結集した結果だった。
 ほかにも、兵庫県に住む在日同胞1世の資産家は、神戸の領事館邸を寄贈した。当時の時価で6億円相当に達する。在日同胞が寄贈した在日韓国公館は、全国9カ所に及んでいる。

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